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100年目の甲子園は歴史の転換点…京都勢68年ぶりV、飛ばないバットで投高打低に?

2024 8/24 08:00SPAIA編集部
甲子園球場,ⒸKPG_Payless/Shutterstock.com
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ⒸKPG_Payless/Shutterstock.com

京都国際が府勢の決勝連敗を4でストップ

第106回全国高校野球選手権大会は京都国際の優勝で幕を閉じた。

決勝は京都国際の左腕・中崎琉生と関東第一の先発・畠中鉄心が好投し、0-0のまま延長に突入。10回表に2点を取った京都国際がその裏の関東第一の反撃を1点に抑え、決勝史上初のタイブレークを制した。

京都勢の優勝は1956年の平安(現龍谷大平安)以来68年ぶり。決勝では1981年の京都商(現京都先端科学大附属高)、1997年の平安、1998年の京都成章、2005年の京都外大西と4連敗中だったが、平安と第1回大会の京都二中(現鳥羽)に続いて府勢3校目の全国制覇を果たした。

夏の甲子園決勝の京都勢成績

わずか7本塁打に激減し、今後は野球が変わる?

見どころの多い100年目の甲子園となったが、接戦の多さが白熱した大会を演出した。

開幕戦から決勝までの48試合で1点差がなんと19試合。決勝が1点差で決着がついたのは2014年の96回大会(大阪桐蔭4-3三重)以来10年ぶり、0-0のまま延長に突入したのは2006年(早稲田実1-1駒大苫小牧)以来18年ぶりとなった。

夏の甲子園決勝戦スコア


接戦の多い理由のひとつが、反発力を抑えた新たな基準の「飛ばないバット」の導入だ。今春センバツもわずか3本塁打(うち1本はランニング本塁打)しか出なかったが、今夏も7本にとどまり、金属バットが導入された1974年以降で最少となった。

本塁打数は金属バット導入後、飛躍的に増え、PL学園・清原和博が2年生だった1984年に47本、3年生となった翌1985年に46本を記録。ラッキーゾーンが撤去された1992年は14本に減ったが、2002年に43本まで増えたため、バットの最大直径67ミリ未満、重さ900グラム以上などの制限を設け、2003年には13本に減少した。

それでもパワー野球の流れは止まらず、2006年に60本、2012年に56本、広陵・中村奨成が大会新記録の6本塁打を放った2017年には68本を記録。甲子園が狭く感じられるほどだった。

しかし、今大会の激減により、今後は投手を中心とした守りに重点を置く高校が増えるかもしれない。プロ野球の「投高打低」の流れは高校野球にも及ぶ可能性がある。そういう意味でも、100年目の甲子園は歴史の転換点となる大会だった。

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